響いた言葉たち

自分の信念を証明する為に生命の危険をもかける。ーチェ・ゲバラ(母親への手紙)

道徳とは脳髄の衰弱だ。ーアルチュール・ランボー

科学は俺たちの目にはまだるっこい。ーアルチュール・ランボー

小説は文学ならず。ー上田敏

往々にしてひとは道徳に従いわが身を律することができる。だが、生きることにはならない。そして、道徳を夢見ることは、たとえ正義を語っているときでも不正に身をゆだねていることだ。ーアルベール・カミュ(裏と表)

おれがお前たちを憎むのは、お前たちが自由ではないからだ!人間誰でも必ず他人の犠牲の上に立って自由なのだ。ーアルベール・カミュ(カリギュラ)

一人前の男になるとは、こんなに辛く苦しいことなのか!生きることは、愛することの反対なのだ。ーアルベール・カミュ(カリギュラ)

神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ。ーアルベール・カミュ(カリギュラ)

唯一の合理的な神は、偶然である。ーアルベール・カミュ(転落)

結局、何も変わったことはなかったのだ。ーアルベール・カミュ(異邦人)

大鳥は綱領のない革命だ。ー寺山修司

母を殺したときから青年の自立が始まる。ー寺山修司

見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつしー寺山修司

幸福は現にわれわれにもないし、またそのへんに転がっているものでもない。ただ願い求めるだけのことですよ。ーアントン・チェーホフ(三人姉妹)

こつこつ働いて、じっと耐え忍んでいるほうが偉えのさーアントン・チェーホフ(谷間)

ひょっとすると、僕は理性を失った病人かもしれない。正常で健康な人は、見たり聞いたりする一切のことを理解しているつもりですが、僕はこの「つもり」というやつを見事なくしてしまったために、来る日も来る日も恐怖に中毒しているのです。ーアントン・チェーホフ(恐怖)

僕はいっそ何も考えないために仕事で気をまぎらし、夜ぐっすり眠るためにわざわざ疲れようと努力しているのだ。僕がこの人生でどんなとんまな役割を演じてきたか、君にお話しできたらなあ!ーアントン・チェーホフ(恐怖)

監獄や精神病院が現に存在する以上、誰かがそこにはいっていなければならない。ーアントン・チェーホフ(六号室)

人間は自分の作り出した物の奴隷となり、それらによって骨抜きにされてしまった。ーマクシム・ゴーリキー(チェルカッシ)

みんなもっと大きく目を開いて、昔のことをよく眺めてみるんだね。そうすればそこですべての謎を解くカギがみつかるだろうよ。ーマクシム・ゴーリキー(イゼルギリ婆さん)

今の世の人たちは、本当の暮らしをしていない。みんなただ生活の真似ごとをしているだけだ。そんな真似ごとのために一生を棒に振ってしまうんだ。そんな風にして無駄な日々を送って、自分で自分をごまかしきれなくなった時に運命を嘆くのさ。ーマクシム・ゴーリキー(イゼルギリ婆さん)

人間たちが真実のもの、素朴なもの、貴重なものにぶつかったとき、やつらは急に論理的になる、己を低くすることなんてしなくなる。ージャン・ジロドゥ(オンディーヌ)

お前さん方は利己主義なんだ。女に子供を生ませる。それが道徳観念の基本だ。ージャン・ジロドゥ(クック船長航海異聞)

奥さんというものは、その奥さんの前に出ると、旦那さんがますます気高く、ますます立派に、ますます強いように見えるもんだ。奥さんを見たら、旦那さんは畑へでも、戦場へでも、よろこび勇んで出掛けるようになるもんだ。お前さんが入ってくると、この人は元気がなくなってしまったじゃないか。ほんとうにもうこの人は立派じゃない!ほんとうにお前さん、この人の奥さんか!ージャン・ジロドゥ(クック船長航海異聞)

平和はおまたちの夫を無気力な、怠け者の弱虫にしてしまう。ージャン・ジロドゥ(トロイ戦争は起こらない)

戦争で死ぬのは勇敢な人たちです。凱旋門をくぐって行進する兵隊たちは死を前にして逃げ出した人たちです。ージャン・ジロドゥ(トロイ戦争は起こらない)

人は生をやり直すことはできない。生きた波動は、永久に固定されたある数の振動のなかに記憶され、それ以後は死んだ波動となる。映画の世界は閉ざされた世界であり、実存とは何の関係もない。ーアントナン・アルトー(貝殻と僧侶)

演劇がその辺のでくの坊たちの個人生活の中にわれわれを引きづりこむことしかせず、観客をのぞき常習犯にかえている限り、大衆の大部分が映画館や、ミュージックホールやサーカスへ、荒っぽい満足を求めに出掛けるのは当たり前である。われわれの感受性の摩滅がここまで来ては、なによりもまず、われわれの神経も心も、呼び覚ましてくれるような演劇が必要なことは確かである。ーアントナン・アルトー(演劇とその形而上学)

ペストがなぜ逃れようとする臆病者にうつり、死体を弄ぶ好色漢たちを見逃すかは誰にも言えまい。ーアントナン・アルトー(演劇とペスト)

どこかの精神病院の一人の狂人のはけ口のない絶望と叫びが、ペストの原因となることが不可能でないのと同様、感情と幻影の一種の転換生によって、下界の事件、政治的衝突、自然の異変、革命の秩序と戦争の無秩序などが、演劇に移って、それをながめる人の感受性の中で、伝染病のような力をもって放電することも認められるだろう。ーアントナン・アルトー(演劇とペスト)

演劇はまたペストと同様、死ぬか全快するかによって終わる危機である。ペストは最高の病気だ。なぜなら、後に、死か、極端な浄化しか残さない完璧な均衡なのだ。ーアントナン・アルトー(演劇とペスト)

悪徳が見られなくなると、ひとしく美徳はほとんど姿を消してしまう。魂の活気は鈍り、やがて革命が準備される。ーマルキ・ド・サド

法律による限り、人間はますます狡猾ますます悪辣になるばかりであって、けっして善良になどはならないものだ。ーマルキ・ド・サド

きわめて多くの場合、偉大な行為は罪と一致するのだ。ーマルキ・ド・サド

神などという、こんな憎むべき出鱈目を最初に言い出したペテン師は、罰として、神のために死んだすべての不幸な人間の霊魂に、生きながら取り憑かれてしまえばよかった。ーマルキ・ド・サド

これ以上人が来るようになっては困る。ー熊谷守一(文化勲章を辞退したときの言葉)

本当に悪いやつは人を殺して死刑になんかなりません。ー教誨師

夢も本来共有のものであった。ー柳田国男

ことばは人間にとって一種の弱さの現れである。ー石川啄木

正直に言えば、歌なんか作らなくてもよいような人になりたい。ー石川啄木

他の存在を自覚してのみ孤独を感じ得るのだ。ー坂口安吾(白痴)

理性に終始するとすれば、我々は当然、我々自身の存在を否定しなければならない。ー芥川龍之介(河童)

雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。ー夏目漱石(草枕)

現代において甘えによる連帯感は蜃気楼である。ー土居健郎(甘えの構造)

すねる、ひがむ、ひねくれる、うらむ、はいずれも甘えられない心理に関係している。自分がある人は甘えを抑制でき、甘えに引きずられる人は自分がない。 ー土居健郎(甘えの構造)

自立することは、依存を排除することではなく、必要な存在を受けいれ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか。自立しているものこそお互いに接触し頼るべき時は頼って生きているが、十分に自立していない人間は、他人に頼ったり、交際したりするのを怖がる。(河合隼雄)

狂気なしでは理性は存在しえない。ーミシェル・フーコー(狂人の歴史)

われわれは、この「より無価値なもの」にこそ問いかけねばならないのである。ーミシェル・フーコー(狂人の歴史)

精神病をつくりだしている澄みきった世界では、もはや現代人は狂人と交流してはいけない。すなわち、一方には理性の人が存在し、狂気にむかって医師を派遣し、病気という抽象的な普遍性をとおしてしか関係を認めない。両者のあいだには共通な言語は存在しない。つぶやき気味のあの不完全な言葉のすべてが忘却の淵にしずめられた。ーミシェル・フーコー(狂人の歴史)

理性は非寛容の知であり、道化は寛容の恥である。前者は自分の利益にならないものは殺してゆく、それに対し、道化は自分の定義に入らないものを、取りこぼしてゆく。寛容と非寛容の問題です。ー山口昌男

世界の涙の総量は不変だ。誰か一人が泣きだすたびに、どこかで誰かが泣きやんでいる。ーサミュエル・ベケット

全世界が彼らに反対だった。でも彼らが正しかったんだ。ーベルトルト・ブレヒト(ガリレイの生涯)

されば死すべき人の身は、はるかにかの最期の日の見きわめを待て。何らの苦しみにもあわずして、この世のきわに至るまでは、何びとをも幸福とは呼ぶなかれ。ーソポクレス(オイディプス王)

「作者によってこしらえられた発見」「記憶を媒介として行なわれる発見」「推論から結果する発見」等々。いずれも、「発見」をもたらす機縁となるものが外的で偶然的であるほど、技法的であり、下手な作家はとかくそのような、とってつけたような「発見」の仕方を窮余の策として用いる。ーアリストテレス

作家にとって生きることと書くことは一つであるべきだ。ープラトン

作家は神がかりの状態において作品をつくる。彼らは、自分が語っている事柄を何ひとつ知ってはいない。ープラトン

悲劇作品とは、それが傑作であればあるほど、何よりも原作と劇そのものにじかに接して、そこから何ごとかを経験することが第一義であろう。ー藤沢令夫

人間というものは、自分の同類に嫌悪の念を引き起こす。ーロートレアモン(マルドロールの歌)

君は、みよ、一匹の蛆のように素裸だ。君の流儀を投げ捨てろ、もはや傲慢にふるまう時ではない。君の罪にみちた生活のいかにささいな動きでも、じっと見ている者がいるのだ。君は、彼の鋭くしつような追求の、細かい網につつまれている。だから恐れずに、生きる気違いを彼の腕にゆだねるがよい。彼は一切心得て導いてくれることだろう。ーロートレアモン(マルドールの歌)

光栄はひとりでに成るものではない。征服者の足下にそれが産まれ、それが差出されるには、血を、それも夥しい血を流さねばならない。正しくも大殺戮が行われた平原に、るいるいたる死体、散乱した四肢を見ずしては戦いはなく、戦いなくして勝利はない。人がひとたびすぐれた者たらんと欲するなら、肉弾性のためにふんだんに流される血潮の流れに、ゆうゆうと身を浸さなければならないことが分かるだろう。目的は手段を選ばない。ーロートレアモン(マルドールの歌)

彼はもはや友人を持とうとはしなかったのである。一人孤独に自分の道を行き、運命が彼に課すものを背負っていこうとしたのである。ーアウグスト・クビツェク(アドルフ・ヒトラー)

ワーグナー夫人の前で、彼は真剣に言った。「あの瞬間に始まったのです」と。ーアウグスト・クビツェク(アドルフ・ヒトラー)

理解しようとするな、信じるんだ。ージャン・コクトー(オルフェ)

待っていれば奇跡は必ず起こった。ージャン・コクトー(恐るべき子供たち)

アメリカ人よ、テレビとラジオに惑わされるな。テレビはあらかじめ咀嚼された柔らかい食べ物を与える。自分の歯で噛みたまえ。歯は微笑のための装飾ではない。ージャン・コクトー

彼は揺るぎない支配者であったろうが、しかし、その力強さと魅力をもってしてみ、ありとあらゆる男らしきものー兵士、水兵、投機師、泥棒、犯罪者ーへのわたしの欲望を満足させることは出来なかっただろう。ージャン・ジュネ(泥棒日記)

生きながらえるためには、服従すべきであり、存在しつづけるためには、戦うべきである。

ーサン=テグジュペリ

歯車は人間の干渉を肯じない。歯車は「時計師」を拒むのだ。ーサン=テグジュペリ(戦う操縦士)

安定というものは一種の死である。ーテネシー・ウィリアムズ

書くという行為は、何事も起こらなかった場合だけに必要なことなのである。ー安部公房(他人の顔)

労働自体に価値があるのではなく、労働によって、労働をのりこえる、その自己否定のエネルギーこそ、真の労働の価値なのです。ー安部公房(砂の女)




ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰りかえされる。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係な“なにか”じゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。だから君に理解できることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏みいれ、砂が入らないように目と耳をしっかりとふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、あるばあいにはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が空高く舞っているだけだ。そういう砂嵐を想像するんだ。

そしてもちろん、君はじっさいにそいつをくぐり抜けることになる。そのはげしい砂嵐を。形而上的で象徴的な砂嵐を。でも形而上的であり象徴的でありながら、同時にそいつは千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう。温かくて赤い血だ。君は両手にその血を受けるだろう。それは君の血であり、ほかの人の血でもある。そしてその砂嵐が終わったとき、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いやほんとうにそいつが去ってしまったのかどうかもたしかじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏みいれたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。ー村上春樹(海辺のカフカ)

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