反対するということ

原発反対!戦争反対! 最近よく耳にするフレーズ。

それはつまり、 原発が嫌だ! 戦争が憎い!

単に「否定する」という負の感情を発散させることに近しいのだと思う。 その怒りや憎しみは、どこからくるのだろう。

電気を使い散らしては、地球を守れという。 中国船が現れれば国を守れといい、法を整備すれば戦争反対という。

その不安の源泉はどこに在るのか。 きっとそれはその人たちの奥底にある得体の知れないものへの恐怖心。つまりは死への恐怖、言い換えれば生という現実への恐怖が、過剰な防衛本能を掻き立てて、ありもしない未来を作り出しているのだと思う。

盲目的に。

不安が不安を呼び、一斉に口に出すことで天に届き、現実のものとなることに気付く余裕もなければ、 負の作用によりいづれ自らに降り注ぐことになることにさえ気付くことはないかもしれない。

パソコン、インターネット、テレビ、ゲーム、マネー、ビジネス。 それは生きるという現実から遠ざかってきた現代人のつけなのか。

ひたすた日々を生きること。 それだけでいいはずだったと思う。

どの生態系においても恐怖心に憑かれたものたちが「あるもの」の掌で踊らされてしまうという。政権、体制が異なれど、支配者が民衆をコントロールするという本質は変わらないのだから。恐らく、怒りに憑かれた人たちは、尖閣沖のニュースがいつの間にか報道されなくなったことにさえ気付いていないのだと思う。

ひとまずテレビやインターネットを「消して」現実と向き合ってみたらいいのかもしれない。 そうすれば、もともと何も起きていない日常に還れるのではないかと。

心穏やかに、平和を願い、 足るを知り、生きること。

自分に軸を起き、淡々と目の前の日常を送っていきたいと思っています。

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